日和佐八幡神社秋季例祭については一年の豊漁豊作を祝う氏子の祭りとして古くから行われてきた。
明治初年からは旧暦八月十五日として続けてきたが、九州出漁団の便宜も考え新暦九月十五日に改められた。
しかし台風や悪天候が多く昭和四十一年から十月十五日となり、昭和四十三年から「体育の日」の十月十日に改定された。
その後、平成十二年から「ハッピーマンデー制度」により十月の第二月曜日の前々日の土曜日に町廻りや宵宮を、前日の日曜日に本祭りを行うようになった。
例祭は二日間行われ、土曜日は神輿や太鼓屋台の町内運行(町廻り)、宵宮、奉納花火が行われ、日曜日には御神輿、太鼓屋台が大浜海岸に造られた御旅所へと繰り出し(御浜出)、神社へとまた帰っていく(御入り)。
この例祭の特徴である、ちょうさ「太鼓屋台」については町内八地区が奉納運行しており、一番古い戎町は寛政七年(1795年)という記録が残っている。
他の地区についても江戸時代の記録が残っており、瀬戸内や関西など各地に太鼓屋台が広がり始めた時期とほぼ重なる。
現在町廻りには車をつけて運行しているが、昭和三十年半ばまで担ぎ手に担がれていたようで、戸袋や屋根を壊すこともあったという。
日曜日には五十人以上の肩に担がれ境内を練り廻り、御浜出や御入りの時には海へ飛び込む太鼓屋台もあり観衆を楽しませている。
いかだの様に組んだ担ぎ棒は、各地の太鼓屋台のなかでも珍しく、海入りの際の安定に関係があると思われる。
また空襲に遭わなかったことや新調せずに修繕してきたことで、当時の姿を留めていると考えられ、太鼓屋台の歴史を調べるうえでも貴重な文化財である。