日和佐八幡神社秋祭りの大きな特徴である「ちょうさ」は、町内八地区が運行しており、一番歴史の古い戎町は寛政七年(1795)に造られ、以後享和二年(1802)に東町、享和四年(1804)に西町、文化十五年(1818)再び西町、天保八年(1837)に中村町、天保九年(1838)に本町のものが作られたと、日和佐在住の槌谷義一氏所蔵の「よろづひかへ覚」(大工重兵衛の記録)の中で記録がある。さらに、奥河町には、嘉永四年(1851)と記した太鼓衣装箱がある。恵比須浜のものには立派な彫刻があったが、昭和41年11月の火災で類焼し、昭和48年に新調。桜町は昭和22年に新調している。
「ちょうさ」が大浜海岸に練り歩き、海に入ることから筏の様に組む担ぎ棒は珍しいといわれる。また、戦争中に空襲等の被害にもあわなかったことから、当時の造りが残されている。
なお、「ちょうさ」を運行する八地区は次のとおり。
戎町・東町・西新町・本町・桜町・中村町・恵比須浜・奥河町。
各地区で布団の色等で特色を出している。
太鼓屋台は地方によっては「ヨイヤショ」「サシマショ」等と呼ばれているが、この日和佐地区では「ちょうさ」と呼んでいます。