旧街道沿いの西町と現在の役場前付近の新町からなる地区で、享和四年(1804年)に初代、 文化十五年(1818年)に現在の物が作られています。
初代は軽く暴れて困るとの理由から、二代目が作られたと伝えられています。
その後初代は昭和21年に桜町へ譲渡されました。両地区とも白色布団でつながりを感じさせます。
古い写真を見ると雨天時には入母屋の屋根がついており当時の西新町の特徴だったと思われます。
「ちょうさ」本体の材質や彫刻はすばらしく、当時のこだわりが感じられます。
また暴れを収めるために作ったといわれるだけあって8地区の中で一、二を競う重さです。