このだんじりは、江戸末期〜明治初期に大阪堺の二代目・西岡又兵衛(堺彫又)によって作られたもので、現・阿南市(那賀郡)の福井町(村)が大正初期に購入しました。堺の港を発ち、橘港で受け取ったという記録も残っております。
しかし、堺型だんじりとしても大型だったため、福井村の人たちも曳くに曳けず、大正六年、日和佐の寺込にやってきたというわけであります。
唐獅子牡丹のみごとな彫刻、伊勢音頭を歌いながらゆったりと練りゆくその姿は、カミの依代としての格の高さを、さぞ醸していたでありましょう。
正確な作事は不明ですが、日和佐にやってきて、100歳を超えています。
昭和初頭は秋祭りには町廻りでだんじりの唄を唄いながらこのだんじりを曳き廻していましたが、現在は地区内の過疎高齢化のため飾り付けて据え置かれております。
全国のだんじりの大半は、空襲で焼かれ再築していると言われていますので、100年経過のものは、非常に珍しく文化価値的に奇跡といえます。